自己本位(旧・赴くまま)

C&Kが好きなオタクのブログです。ウザく語ります。

朝が来る(感想)

ネタバレしまくりなので、小説まだ読んでないかた、映画を楽しみにしているかたはここでストップ!

『朝が来る』
どこにでもいる一般的な家族のような描写の出だしだった。

他所の子供に怪我をさせたと周りに疑われても一切朝斗を疑わなかった佐都子。

「朝斗は嘘をつくような子じゃない」

深い愛情を感じさせた。

結局、その子供が親に叱られたくないからという理由の嘘だった。

相手の親も慰謝料とか喚いて、周囲に言いふらしていたが、一転してへらへらと謝罪。

そこで怒らなかった佐都子はすごく大人だと思った。

その件が一段落して、忘れていた無言電話が。

「もしもし」
「子どもを、返してほしいんです」

初めて聞いた電話の声。
か細い声の女性は「片倉」と名乗った。

「私の産んだ子どもです。そちらに養子でもらわれていった」

「もし嫌ならお金を用意してください」

朝斗の実の母がするとは思えない脅迫の電話。

どうして今

困惑する栗原夫婦。

後日その女性が家に来ることに。

実際に現れたその女性を見ても特別養子縁組で引き取る日に一度だけ見た朝斗の母親と結び付かない。

目の前の彼女に朝斗の母親から預かったレターセットを見せた。

「「あの子の学校にも」と仰いましたね。朝斗はまだ幼稚園に通っています。小学校に通うのは来年からです。あのお母さんが朝斗が何歳か忘れることなどありえない。あなたは一体誰ですか」

朝斗が帰ってくる時間。
「どうしますか、会いますか」
夫の清和が訊ねる。
「私は__」
彼女はようやく口を開いた。

それから1ヶ月近く経った頃、警察が栗原家にやって来た。

「この女性に見覚えはありませんか」
「この女性が行方不明になっています」

突然の警察の訪問。
写真の女性は1ヶ月前に会ったときより顔つきも幾分か明るく、口元もにこやかだった。

「教えてください、この人は一体誰ですか」

ここで場面が変わる。

栗原夫婦
『ベビーバトン』で特別養子縁組する前の、朝斗を迎える前の栗原夫婦の苦悩。

自分たちの子供は望めばできると信じていたふたり。
夫の清和が無精子症だと分かり、手術をして、顕微授精へ。
5回まで行うことが可能だという。
2回目の「陰性」を聞いたとき。
遠方の病院での治療に身も心も疲れていた。

3回目、飛ばない飛行機を待つ空港でふたりは「やめる」という選択をした。

涙を流す夫の姿とその妻。
映像として伝わってきそうなほど、切なかった。

ある日。
偶然つけていたニュースで『ベビーバトン』の存在を知り、説明会へ参加することに。

そこで見た仲が良さそうな家族。
特別養子縁組で家族になったひとたち。
幸せそうな姿だった。

何度も話し合いを重ね、養子をもらう覚悟をする。

並大抵の覚悟ではない。

子供は授かれなかった。
けど育てることができる環境に自分達がいるのだから、何かの事情があって育てられない子供を引き取ろう。

夫婦にとって
朝斗は希望の光になったのだろう。


片倉ひかり
ひかり側の話。
中学生だった彼女がどうして子供を授かってしまったのか。
どうして『ベビーバトン』で子供を産んだのか。
そして何故今さら彼女は栗原夫婦を脅迫したのか。

思春期の普通の中学生だった彼女。

子供が授かり、産んだことで大きく変わってしまった環境。
子供を自分で育てられない苦悩。
両親との確執から家出をして、子供を産んだときにお世話になった広島の『ベビーバトン』の寮へ。

未熟で無知だった幼い彼女。
周りに理解者がいない孤独な彼女は可哀想だった。

身に覚えのない借金を返せと言われ、広島を離れたひかり。
ビジネスホテルで住み込みで細々と生活していたが、世話になっていた新聞屋に手紙を出したことで借金取りに見つかる。
そこでビジネスホテルのお金に手をつけてしまった。
返すあてを聞かれたとき、咄嗟に自分の子を養子として引き取ったあの夫婦が思い浮かぶ。

裕福な暮らしをしているのだろうから、お金を要求してもいいだろう。

そしてあの電話へ繋がった。

栗原家を訪れて朝斗に会うか問われたひかり。
「申し訳ありませんでした。私は母親ではありません」
そう言って家を出た。

ひかりは途方に暮れて、さ迷っていた。
帰れるところはどこにない。
自分に居場所などない。

雨のなか傘も差さずにいたひかりの後ろから背中に感じた強い重み。
「やっと見つけた」
そこには佐都子がいた。朝斗も。

佐都子はずっとひかりを探していた。
「ごめんなさい」
と佐都子。

朝斗「この人、だぁれ?」
佐都子「広島のお母ちゃんだよ」

絶望のなかにいたひかりにも最後にようやく光が射した。

私が街ですれ違った微笑ましい普通の親子に見えたひとたちも実はそうなのかもしれない。

人が言う「普通」が如何に曖昧かを感じさせてくれた。

小説の終わり方としては弱いと思うかたもいるかもしれない。

でも、映画になったときこれをどう表現してくれるのか楽しみだ。


映画館で見られる日を心待ちにしています。